わたぐも流の知りたがるLog

好きなものを見てほしい。2022/02/19より再開

絵を描く。自由を想う。雑記

やった。私はやったぞ。

褒めてくれ。何も出ないけど。どうもありがとう。

ごめん白状する。終わりが見えないから切り上げたんだ。全力で取り組んだ結果には違いないけど、やり切ったという感覚からは遠い。直したい部分はたくさんあって、けれどどう修正すべきかわからない。手も足も出ない。能力、知識、ひらめき、忍耐力。そして何よりも。

速さが足りない!

まあ今回の反省や発見はこれから消化していくとして、ちょっと絵の話から脱線しよう。
しばらくぶりに絵を描いて思ったこと。それは始まりも終わりも自分次第なんだ、ってこと。
趣味で描いている以上そんなの当たり前なんだけど。なんだか久しぶりに自分の手の中にある自由を見つけた気がした。

何のために描くか。何を描くのか。ただ自分で決める。やめるのも自分次第。

自由?自由って何だろうね。この疑問は誰しも一度くらいは考えたことがあるんじゃないかな。ない?そっか。

FreedomとLibertyの違いがどうとか、権力がどうとかって話はgoogle先生に聞けばたくさん話してもらえる。だったら私が話すまでもないか。

ああでも、検索結果を漁っていて少し面白いなと思った話があった。自由という言葉を「自らを由とする」と解釈する話。そうか、漢字の意味としてはそうなるのか、なんて感心していたんだけど、どうもその解釈な仏教に基づくものらしい?
仏教か。そっか。

それから頭がぼーっとしてよく覚えていない。持病なんだ。宗教性低血圧ってやつ。もちろんそんな病気はない。ある。ナイアルラトホテップ。いあいあ。

子供時代に宗教と良い関係を築けなかったせいなのかな。特定の宗教が苦手なわけではなくて、全般的に苦手としている節がある。
要するにどういうことだろう?
人が集団的に同じものを信仰していること。いやフィクション作品だと何の抵抗感もない。つまり概念に対してではなくて人への感情なのか。

出身国の違う友人がいればそんなことなかったかもしれないな。レッツ異文化交流。海外の人のことは好きだよ。友達になれたことはないけど。言葉通じないもんね。OK, google. 通訳して。

きっとあれと同じ。電子機器に触れないまま育つと何歳になってもその手の端末を怖がるとか、そういうの。食わず嫌いを一生引きずることだってあるよ。人間だもの。

ところでさ、虫に何の抵抗もなかった子供が成長して虫嫌いになるのはなんなんだろうね。これは食わず嫌いもとい食えたのに嫌いか。

ぼちぼち話が出てこなくなってきた。雑談は苦手かもしれない。
あ、そうそう。宗教に抵抗があると言いながら戻ってしまうんだけど、誰かさんが言っていた。教育も一種の宗教だって。もう連絡も取ってない知り合いだけど、真顔で言っていたのが妙に印象に残っている。ちなみにあの低血圧が発動したので詳しくは聞かなかった。便利だな低血圧。でも寝起きにぼーっとさせてくるやつは全然便利じゃない。やめて。

雑記回でした。
それじゃあまた。